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EarthquakeEncyclopedia
西南日本外帯の秩父帯と四万十帯の境界をなす大規模な北傾斜の逆断層で、仏像構造線、仏像-糸川構造線ともいわれており、南西諸島から九州、四国、紀伊半島および中部地方を経て、関東地方まで延びる。
これの名称は高知県土佐市の西端にある小集落名にちなんで小林貞一が命名した。
仏像線の北側には、古生代後期〜中生代中期の地向堆積物が発達し、中生代後期以降の地層が浅海〜非海成のものであるのに対し、南側の四万十帯には中生代後期から第三紀中頃にわたる地向斜堆積物が分布しており、この構造線は地史的に重要な意味を持つ。
仏像線は白亜紀に出現し、これに沿う断層運動は何回も起こっている。
【世界大百科事典】
西南日本外帯から関東山地にかけて延びる四万十帯の北縁を限る断層。
広義の秩父帯の南部を占める三宝山帯の地層を、褶曲した四万十帯の地層の上へ衝上させている部分(衝上断層)と、その後に生じた横ずれ断層や正断層が四万十帯の北限となっている部分とがあり、これらすべてが仏像構造線と呼ばれている。
なお、仏像構造線の名前は高知県土佐市西端にある地名に由来する。
仏像構造線は北に中角度で傾斜しているが、地下では水平に近いほど低角な衝上山層であり、三波川変成岩類や秩父帯の地層の下には、この断層を境として四万十類層群が接している。
紀伊半島中央部では、秩父帯と三波川帯はそのかなりの部分が削剥されており、四万十帯の地層と三波川帯の変成岩類が接している。
仏像構造線の衝上運動は、中生代白亜紀最後期から新生代古第三紀始新世までのある時期におこっており、同時期と考えられる衝上断層は三宝山帯にもみられる。
【日本大百科全書】