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kototen:nansei-syotou

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南西諸島

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九州島南部から南西方向に台湾の東部近海まで連なり,東シナ海を太平洋から分ける弧状の島嶼(とうしよ)群の総称で,琉球弧とも呼ばれる。与論島以北の鹿児島県に属する薩南諸島と,伊平屋(いへや)島以南の沖縄県に属する琉球諸島とに大きく二分される。薩南諸島はさらに,北から大隅諸島(口之三島を含む),吐噶喇(とから)列島,奄美諸島に分かれ,琉球諸島は北部の沖縄諸島(大東諸島を含む)と南部の先島(さきしま)諸島(尖閣(せんかく)諸島を含む)とからなる。

 地形・地質的には,南西諸島は並走する3列の弧に区分される。東シナ海側の内帯は火山島群で,口之三島,吐噶喇列島,鳥島(硫黄鳥島),粟国(あぐに)島,久米島から尖閣諸島に至る。中央帯は一般に古期岩石よりなる比較的高峻な山地性の島々で,屋久島,奄美大島,徳之島,沖縄島(本島)北東部,石垣島,西表(いりおもて)島などである。太平洋側の外帯はおもに第三紀の堆積岩でできた低平な島で,種子島,喜界島,沖縄島南西部,宮古島を経て波照間(はてるま)島に至るものである。北緯24°~30°50′の間にあり長さが約1300kmにも及ぶこと,北西側を黒潮が流れることから,南北差はかなりあるものの全体として亜熱帯気候地域に属し,特に奄美諸島以南では,ソテツ,アダン(タコノキ),ガジュマル(榕樹(ようじゆ)),マングローブなどの特色ある植生が見られるほか,サンゴ礁海岸が発達し,内陸部も隆起サンゴ礁からなる石灰岩(琉球石灰岩)で覆われたところが多い。主産業は農業であるが,降水量は比較的多いものの保水性の悪い石灰岩地域が広いため,主要な農作物はサトウキビであり,ほかにバナナ,パイナップルなども栽培されている。サトウキビは日本での生産を独占しているが,安価な輸入品との競争は困難で国の保護政策に頼るところが大きい。しかも夏から秋にかけて台風の通路となり,農作物に大きな被害が出ることも多い。もともと資源に恵まれず,めだった工業はみられない。

 遣唐使の南島路に当たるなど古くから日本本土との関係は深かったが,平安後期の遣唐使廃止以後はしばらく交流がとだえる。この間沖縄島に琉球王朝がおこり,奄美諸島や先島諸島もこれに服属するが,1609年(慶長14)薩摩の琉球征服により,南西諸島全域が薩摩藩政下に入ることになった。薩摩藩は琉球王朝を存続させ在番奉行を置いて監督するとともに,明との冊封(さくほう)関係も温存させ中国貿易を続けた。明治維新後,薩南諸島は鹿児島県に属し,琉球諸島は沖縄県となる。第2次大戦末期,沖縄諸島が激しい戦闘の地となり,戦後北緯30°以南が米軍軍政下に入ったが,吐噶喇列島は1952年,奄美諸島は53年に返還され,琉球諸島も72年に本土復帰した。復帰後は自立経済の道を歩みはじめているが,とくに近年は暖かい気候,サンゴ礁の青い海と白い砂浜,太陽の輝く空などの恵まれた環境を生かした観光への依存度が高まっており,リゾートホテルをはじめとする諸施設の建設も進んでいる。

 南西諸島の各島を結ぶ航路の本土側の窓口は鹿児島港であるが,奄美諸島や沖縄諸島へは東京(2008年現在,鹿児島県志布志経由),大阪,神戸などからの直行便もある。また航空路の重要性も増しており,97年現在大隅諸島2,奄美諸島5,沖縄諸島4,先島諸島6,大東諸島2の空港が整備されてきている。民俗学者の柳田国男はこれらの島々を,南方の文化を日本本土に伝えた〈海上の道〉と呼んだ。

【世界大百科事典】

項目

【出典】


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kototen/nansei-syotou.1717648872.txt.gz · 最終更新: 2024/06/06 by nonbe